日本をまもる会は中田清康がシベリア抑留より脳神経障害を装い昭和23年11月帰国、赤旗の林立する革命前夜の如き祖国を憂へ一人一党で愛国活動を展開。
 当初は職場(国税局)・繁華街(香林坊)での反ソ反共壁新聞貼布啓蒙活動からはじめた。
 その後勤めながらの行動では限界があり、職を辞し自由業25回の遍歴を重ね初志を貫いて来た。
 約半世紀前フェドレンコ駐日ソ連大使来県の際北方領土返還要求単独自動車デモ、エリツィン大統領来日看板事件、また「時局と眞相」誌での憂国論陣等々、数多くの活動を続けて来た。
 特に帰国以来、大東亜戦争罪悪論を憤り、歴史歪曲による日本破壊に対する反撃のため、長年懐き続けた大東亜聖戦大碑建立を元関東軍作戦班長草地貞吾大佐参謀と共に平成12年8月4日完成させる大業を果した。
 現在毎年2月11日紀元祭と共に、8月初めの日曜日に大東亜聖戦祭を盛大に斉行している。また、この両大祭永続のため当会は大東亜聖戦大碑護持会並びに大東亜青年塾(名誉塾長 まんが家小林よしのり先生)を組織した。
 戦後の劣化謀略に壊された日本が真実に目覚め正常に甦り国家公共が両祭を盛大に行うようになるまで全会員は七生報国の精神で頑張り続けるのが当会の目的である。